ラグビーワールドカップで盛り上がっている2019年。
廃部寸前、社会人ラグビーチームの下剋上を描いたドラマ『ノーサイドゲーム』が放送されるなど注目を集めています。
この『ノーサイドゲーム』でもキーマンを務めた浜畑譲役の廣瀬俊朗さんについてご紹介します。
廣瀬俊朗のプロフィール
名前:廣瀬俊朗(ひろせ としあき)
生年月日:1981年10月17日(37歳)
出身地:大阪府吹田市
身長/体重:173cm/81kg
出身大学:慶應義塾大学
職業:元ラグビー日本代表
廣瀬俊朗さんは大阪府吹田市で生まれ、3歳から大学入学まで豊中市育ちの生粋の大阪府民でいらっしゃいます。
5歳からラグビーを始め、学生時代はラグビー漬けの日々を過ごしてこられました。高校では”ラグビーの名門”北野高校へ、大学は慶應義塾大学理工学部とへ入学しラグビー部に所属。
ちなみに北野高校は偏差値76とかなり高く、慶應に進学された点をみても廣瀬俊朗さんはかなりの秀才のようです。
大学卒業後は東芝ブレイブルーパスに入団、高校・大学・社会人とキャプテン経験を積み日本代表を務めてきました。
これだけラグビー人生を歩んできている廣瀬俊朗さんですが、実は小学1年生から中学2年生まで約8年近くバイオリンを習っていたそうなんです。
しかし、当の本人は「これ、女の子がやるもんちゃうんか?」と疑問を胸に通い続けていたそうです(笑)
とはいえ、8年も習い続けているとそれなりに腕前があるんじゃないでしょうか。今の男らしい印象とは違った繊細な習い事をされていたのは意外ですね。
そして2016年にラグビーを引退されています。
ラグビー現役引退後の活動は?
廣瀬俊朗さんが2016年にラグビーを引退されてから現在(’19)までどんな活動をされてきたのか?まとめてみました。
- 2016年度初め日本ラグビーフットボール選手会設立
- 2016年10月からBBT大学院にてMBAコースに入学
- 2017年東芝ブレイブルーパスのバックスコーチ就任
- 2019年ラグビーワールドカップ2019のアンバサダー就任
- 2019年ドラマ『ノーサイドゲーム』にて俳優デビュー
- 2019年ランドローバーブランドアンバサダーに就任
- 2019年BBT大学院生からBBTアンバサダーに転身
ざっと紹介しただけでも引退後から目覚ましい活動をされていますね!
いや、アンバサダー就任が多くない?と思いますが、まず各項目を掘り下げていきますと・・・
引退した翌年2017年には自身もプロとして所属していた東芝ブレイブルーパスにてバックスコーチに就任しています。
日本ラグビーフットボール選手会設立
日本ラグビーフットボール選手会は廣瀬俊朗さんらが発起人として2016年初めごろに立ち上げられました。主な活動内容とは
- 関係者とのコミュニケーション
- ラグビーの普及活動
- 社会貢献活動
- 教育および次世代の育成
を中心としていて『日本代表をはじめとする選手の処遇改善に貢献し、選手をまとめ、ラグビー協会と協力・話し合いを通じてラグビー人気を盛り上げる組織』のようです。
初代会長はもちろん、廣瀬俊朗さんでいらっしゃいます。
ラグビー人気の獲得を目指すだけではなく、活躍する選手への処遇を見直していくラグビーへの熱さ・行動力は素晴らしいですよね。
ビジネス・ブレークスルー大学院に入学
2016年3月にラグビーを引退後、同年10月にビジネス・ブレークスルー大学院に入学。
なぜスポーツ選手がビジネス系の大学院に通うのか?その理由について回答したインタビューがありました。
どんな選手にも引退が訪れますが、人生のピークはアスリート時代だけである必要がなく、現役時代よりも長いセカンドキャリアに進んだときに何度でも毎日でもピークがあっても良いはず。
私自身がロールモデルとなることで、将来を担う子供達やその保護者の方にも夢を持って頂き、ラグビーやスポーツの素晴らしさを知ることで、スポーツの裾野拡大にも貢献していきたいです。
excite.co.jp
また廣瀬俊朗さん自身、知識欲が強く常に学ぶこと・新しいものを取り入れることに興味が強いようです。
またスポーツを軸にした事業化の実現を目指しているようで、事業を成功させ子供たちの目標になることが今後の目標とのことで本当に広い視野で活動されている様ですね。
プロスポーツ選手の多くは人生のすべてをスポーツにかけてきただけに、引退後は「何をやったらいいのか?自分に何ができるのか?」という面に直面する人が多い中、廣瀬俊朗さんは冷静に自身の今後や目標を立てMBA修了を目指す姿勢は本当にかっこいいです。
2017年東芝ブレイブルーパスのバックスコーチ就任
引退した翌年’17年には廣瀬俊朗さん自身もプロとして所属していた東芝ブレイブルーパスのバックスコーチに就任しています。
まずバックス(BK)とはボールがラインの外や反則・ミスでプレイが途切れた場合にスクラムやラインアウトといったセットプレーから試合を再開する際のこの”セットプレー”に参加せず、グラウンドに広く展開し攻守両方を備えている後方7人ことをいいます。
そのバックス(BK)と呼ばれるポジションをコーチする人のことです。
東芝ブレイブルーパスは国内最高峰のトップリーグで過去5回の優勝する強豪チームだったにも関わらず廣瀬俊朗さんが引退後、低迷が続いたところオファーがありバックスコーチ就任。
チームのアイデンティティの明確化を支え、戦績を浮上させました。
ドラマ『ノーサイドゲーム』出演!俳優デビュー
2019年7月から放送されたドラマ『ノーサイドゲーム』にラグビー選手・浜畑譲役で出演し俳優デビューされました。
作中ではキーマンと言える重要な役どころを演じ視聴者の話題を集めました。
3つのアンバサダー(大使)に就任
廣瀬俊朗さんは2019年の間に3つものアンバサダー(大使)に就任されました。
- ラグビーワールドカップ
- ランドローバー(ブランド車)
- ビジネス・ブレークスルーアスリート
アンバサダー(大使)とは『企業のブランドや商品を応援する人』です。
現在、ラグビー関連でも布教活動を行い勢いある廣瀬俊朗さんだからこそ抜擢されたのでしょうね!
俳優に転身?今後も役者としての活動は?
ドラマ『ノーサイドゲーム』ではキーマンを務めた廣瀬俊朗さんですが、初めての演技に「失敗できない怖さ」があったようです。
ドラマでもかなり注目を集めた廣瀬俊朗さんは今後、さらに俳優活動を続けていくのでしょうか?
どうやらご本人としては「今後もやるかどうかはわからない」とコメントされています。
今回のドラマ『ノーサイドゲーム』はラグビーワールドカップへの注目を集めるために放送されたものですし、ラグビーワールドカップアンバサダーを務める廣瀬俊朗さんにとっても絶好の機会でもあり出演されたのだと思われます。
廣瀬俊朗さん自身も引退時には今後の活動ははっきりは決まってはいないものの
- いつか海外に出てみたい
- 指導者としても活動したい
- ビジネスマンとしても成功させたい
などラグビーに携わりながら活動がしたいとのことで、強い野心があるようなので俳優業に転身とまでは言えない様です。
ラグビーを辞めた理由は?
廣瀬俊朗さんが現役を引退するに当たり下記のようにコメントしています。(全文)
「2012年に日本代表のキャプテンに選出されてから、2015年のワールドカップがターゲットになりました。ここで歴史的な南アフリカ代表戦の勝利を含め、3勝1敗で帰って来たら、日本ラグビーが凄く変わっていて、国内の試合も満員のなかでおこなわれる光景を美恵うことができたし、この間のサンウルブズの試合(スーパーラグビーに日本から初参戦したチーム。2月27日に開幕節をおこなった)も満員のなかで素晴らしい環境のもと行われていた。僕自身が、ラグビー選手として作りたい状況を成し遂げられた。そうなったら人生は一回きりで、次の人生も楽しみたいと思った。次に向かいたいと思いました。体力的にはまだまだやりたいですけど、次の喜びを見つけたい思いの方が強くなりました」
引退理由は『廣瀬俊朗さん自身が成し遂げたかったことを達成し次のステージに進みたい』と考えての決断のようです。
国内試合では場内満席になっていたり、最高の環境の下試合が行われるなど日本国内でのラグビーへの見方がいい方向に変わってきたからのようですね。
まとめ
- 俳優に挑戦するも今後のやっていくかは未定
- ラグビーに携わりながら海外進出・指導者・ビジネスマンとしても活動していきたい
- 引退理由はラグビーにおいて成し遂げたかったことを達成したから
引退から現在までノンストップで活動しつづける廣瀬俊朗さんのご紹介でした。
引退後にはビジネスを学ぶために大学に入ったり、指導者としても活動したり、俳優として演技を通してラグビーの布教をしたりと凄まじい活躍っぷりの廣瀬俊朗さんの今後のさらなる活躍が楽しみですね!